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イトーのブログ

ここはゲーム、まんが、映画の備忘録帳でござい 自分用なので文章が自由

雪女の話です

こんにちは、イトーです。

何でもいいから文章を書き続けるのが大事です。
どうでもいい与太話でもいいですが、教訓的な内容だとなおよいです。

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「イトーさんももう帰られるんですか?」

 定時後、帰り支度を整えていると、可憐な声が私を呼び止めました。
 振り向いた先にいたのは後輩のタナミさんでした。私が彼女の研修を担当したこともあり、私にとっては数少ないたまに話すことがある女性社員の1人です。
 軽く会釈をすると、彼女も浅く顎を引いて返します。彼女の長い黒髪の幾筋かがさらさらと涼やかにほどけて、縁なしの眼鏡にかかりました。
 私は髪をすくう彼女の細い指先を眺めつつ、

「いえ、まだちょっと。帰る前にパソコンのスキャンだけ走らせておこうと思って」
「ああ、この間社内のセキュリティ問題が取り沙汰されてましたしねえ」
「タナミさんもうかつに社のパソコンにフリーウェアをインストールしたり、見慣れない社外のメールを開いたりしてはいけませんよ」

 しばらく他愛のない会話を楽しんでいるうち、話題は「この冬の予定について」に移ります。タナミさんはスキーに行くことを、私はAmazonプライムビデオを観ることを話した後(しかしひどい落差です。でも『アイ・アム・キューブリック!』とか観たい)、ふと私はそれをきっかけに以前に体験したある出来事を思い出しました。
 会話を弾ませるうちに口が軽くなっていたのでしょう、考えるよりも先に私は「それ」を口にしていました。

「スキーといえば昔、大学の教職課程の必修科目にスキーがあったんですけど。雪山に行った先で猛吹雪があって、遭難してしまったことがあって……」

 なぜ私が彼女にその話をしようと思ったかは定かではありません。無意識のうちに、楚々として知的な彼女の気を引きたいという気持ちが働いたのかもしれません。
 息を呑む彼女に、私は他の誰にも聞こえないように、声を抑えて告げました。

「……その時、私は雪女に会ったのです」

  ※

 会ったというより、私が勝手にそう思っているといった方が正しいのかもしれません。

 雪山で会ったのは古式ゆかしい着物に身を包んだ美しい女性でした。
 半ば雪に埋まった私をじっと見下ろす瞳が、血がしたたるように紅かったのを覚えています。それだけで彼女を尋常ならざる魔性のものと判断するには充分でしたが、当時の私はとにかく吹雪に凍えて正常な思考を失っていたため、瞳は赤く、肌は血が通っていないと思うほどに白い彼女を見て、何となくイチゴ大福を連想するのが精いっぱいでした。

『もし貴方が死にたくないと願うのなら、たすけてあげる』

 氷を通して伝わってきたような、硬質なソプラノ。その冷然とした声を、眼前の彼女のものだと理解するまでしばし時間が必要でした。

『その代わり、ここでわたしに会ったことは誰にも言ってはいけないよ。親にも、兄弟にも、恋人にも。もし誰かに話してしまったら、その時は……』

  ※

「……覚えてるのはここまでで、起きたらそこは病院のベッドでした」
 同じ教育課程の友人曰く、私はスキー実習中にコースを外れて転げ落ち、頭から雪に埋まっているところを発見されたそうです。誰に尋ねても猛吹雪などなく、全日がからっとした晴天だったと口を揃えて答えられました。
 身震いをして、オフィスがどうも薄寒くなってきたことに気付きます。エアコンが効いていないのでしょうか? コンパネを確かめに行こうとした私の脚を、タナミさんの――しかしとても彼女のものとは思えないほど冷たい声が凍り付かせました。

「……馬鹿な男。あれほど誰にも話すなって言ったのに」

 突如周囲が白い猛吹雪に覆われます。蛍光灯に照らされたオフィスは瞬く間に侵食され、いつか見た雪山へと様変わりしていきます。
 慌てて逃げようとして、私は自身の下半身が分厚い雪に覆われていることに気が付きました。いつの間にか身に着けていた紺のスキーウェアに、液体のような冷気が急速に染み渡っていきました。

『残念だけど、話してしまったからにはあなたにはここで死んでもらわないといけない』

 彼女の言葉に合わせるように、吹雪の勢いはますます増し、ミルクを溶かしたような雪煙が視界を塞いでいきます。何もかもがそれに埋め尽くされる前に手を打たなければ、全てが厚い雪の下に埋まるでしょう。そう直感した私は、口を塞ぐ吹雪にあえぎながらも咄嗟に叫びました。

「ちょっと待ってください! そんな、そんな……」
 口の中に入った雪を吐き出し、彼女に問いかけます。

「……そんなこと言われましたっけ?」

 しばしの沈黙。
 荒れ狂う吹雪だけがごうごうと音を立てています。
 粗塩のような雪混じりの風に耳が晒され削り取られていく痛みが、やけに響きました。

『……そんな言い逃れをしようというの。確かにわたしはそう言ったはずよ』
「じゃあ、何か文面で残ってませんか。メールとか、チャットログとか」
『それはないけど』
「ええー!」

 機を掴んだりとばかりに、ことさら私は大げさに驚きます。唇をゆがめたのはただ吹雪に晒され冷たかったからですが、不満感を強調する演出になったかもしれません。

「ああいえ、もちろん私の覚え違いとか、聞き逃しかもしれないですけど」首を傾げながら、「いやあ、でも、聞いてないと思うんだけどなぁー……」

 不平をこぼしながら横目で彼女の様子をうかがうと、タナミさんはいかにも決まり悪そうに両こぶしで着物の裾をきゅっと掴み、足元をじっと見つめています。
 私は強めていた語調を、ほんのわずかに緩めました。

「ああ、すみません、責めてるわけじゃないんです。ただ、まあ私も気をつけますので、タナミさんも今後を注意していただけますとね、はい、助かるというか」
『はい……』
「やっぱり何か残るものがないと、どうしても言った言わないの問題になってしまうことがありますので。それはお互いに望むところではないと思うんですね」
『すみません……』
「いえいえ。それではお互い、次回から気をつけるということで」

  ※

 目が覚めると、煌々としたPCモニタの明かりが目に飛び込んできました。どうやらいつの間にか、オフィスで自分のデスクに突っ伏したまま眠ってしまっていたようです。
「あー」と気だるさに任せて唸りながら周囲を見渡すと、もう残っているのは私だけ。
 タナミさんももう帰ってしまっているのだろうか、と考えてから、そんな人物はこの会社にいないことに気付きます。……何かの記憶違いでしょうか?
 仕方なく帰り支度を始め、モニタの電源を落とそうとしたパソコンの画面に一通の新着メール。

『送信者:Tanami
 件名:雪山での件につきまして』

 社外からの見慣れないメールアドレスです。私はそれを慣れた所作で迷惑メールとして報告すると、マシンのスキャンを走らせてからオフィスを後にしました。

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ドキュメント化するのは大事という教訓になっていればいいですが、やっぱり与太話のような気もします。