イトーのブログ

ここはゲーム、まんが、映画の備忘録帳でござい 自分用なので文章が自由

落ちました。

 こんにちは、イトーです。

「イトーくん、飛びたまえ」

 社長閣下のお言葉は絶対です。
 我ら木っ端ゲームプランナーにとって社長は尊敬すべきクリエイターであり元帥も同然。お断りする選択肢など持ち合わせていようはずもありません。
 ああ、しかし。どうして!

 ボードゲーム合宿のため訪れたはずの千葉で、私はバンジージャンプの高台に立っているのか!!

 特にオチも何もないのですが、なりゆきでバンジージャンプをしてきました。
 もう二度と飛ぶことはありませんが貴重といえば貴重な経験だったので当時の心象を本記事に記録しておきます。念押ししますが、ほんとにただの記録です。

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バンジージャンプにおける感情曲線の変遷
 さて。バンジージャンプを実行するまでの経緯は、大まかに以下のステージに分類されます。
  ① 〈参加決意〉期
  ② 〈13階段〉期
  ③ 〈遠望〉期
  ④ 〈ジャンプ〉


①〈参加決意〉期

 その名の通り、バンジージャンプに参加するぞと決める最初期を指します。
 他の人はどうか知りませんが、私の場合参加のきっかけとなったのは他の人たちがこぞって参加を申し出たことで、要するに見栄となりゆきです。もうこの時点で清水寺の舞台から飛び降りるくらいの覚悟を消費しています。


②〈13階段〉期
 たいそうな名前を付けていますが、要するに自分の順番が来たので、高台へ続く階段を登っているステージです。
 階段は鉄骨で組まれていて、あらゆる寒風が素通しです。3つほど登ったあたりで恐る恐る景色を見ると、意外と低いところにある視点にほっと安堵しました。

「何だ、この程度の高さならまだ大丈夫そうじゃないか」

 そこから更に4つ登りました。「この高さは人が死ぬ」。そんな恐怖が明確な輪郭を帯びたところから、また3つ登りました


③〈遠望〉期
 登るにつれて冬の冷気が身体に深く染み込み、恐怖で震えているのか、寒さで震えているのかもう判別が付かなくなります。

 登頂に着いた私を迎えたのは、遥か地平線まで広がる山々と、萌ゆる緑。青い空が世界を覆い、その中に千々に散らばった雲がまるで清流を泳ぐように流れます。(実際は眼鏡を置いてきたのでよく見えないのですが)
 ひとたび下に目を向ければ、ミニチュアのように縮んだ人々が私を仰ぎ見ています。絶景でした。なお絶望的な光景の略称です。

 鉄骨で組まれた足場は隙間だらけで、ふとした拍子にその穴に脚が吸い込まれそうな錯覚に何度も陥りました。
 ここまで来ると、やたら独り言が多くなっていきます。

「いざ自分の部屋が火事になったときのシミュレーションと思えばいい」
「フンフフーンフンフーン (アニメのテーマソング)」
「トイレ行きたいな、行きたい」

 靴底に伝わってくる奈落の気配から意識を逸らし、なるべく遠くの景色を眺めて「山はいいなあ」と思うことに努めていました。



④ 〈ジャンプ〉
 前の人の姿が高台から消え、とうとう私の出番が巡ってきます。

「では、つま先を高台の端からはみ出すようにして、そこに立ってください」
「!?」

 多分『落ちちゃうじゃん!』みたいなことを考えていたと思います。(これから落ちる)
 言われるがまま崖っぷちに立つのですが、この時の絶望感がすごい。眼下の光景のあらゆるものが小さくて遠くて、完全に未経験の異次元です。そして遮るものが何もない。何もない空間にダイレクト。せめて私と一緒に落ちるバランスクッションにすがって仮初の安心感だけでも「そのクッションにはつかまらないでください」鬼か。カウントダウンが始まるんだな、そしたら一歩踏み出さなければいけないんだな、無理です

 しかしカウントダウンはおかまいなしに始まります。
 この後におよんでも恐怖より見栄が勝っていて、もはや霞がかってきたアタマで考えることは「前に重心を傾ければ、あとは私がどう思おうと勝手に落ちるだろう」。全身全霊の思考放棄です。

 その通りに落ちました。

 足が離れます。全身の肌が浮遊感を伝えてきて、瞬く間に虫が這うような嫌悪感へと変わります。
 そして巡る思考。加速するというよりむしろ鈍くなり、「どうしてこんなことをしてしまったんだろう」という後悔と「もう戻れない」という恐ればかりが何度も去来します。

 そこから先のことはほとんど覚えていません。

 ただ「がくん」と強く後ろから引っ張られるような力で再び上空へとバウンドし ⇔ また落ちて、のサイクルが続くのがイヤだったことだけ覚えています。
 私はこれを「死と再生のサイクル」と呼んでいるのですが、他の人に訊くと「(トランポリンみたいで)楽しかった」と答えるのだから、こいつはもう正気じゃねえ。


 終わって地上で人心地ついた後は、恐怖を紛らわせるためか またやたら口数が多くなって、いかに怖かったかを人に何度も説きました。
 スマートフォンにこのときの経験をメモしようとしたら、油が切れた機械のように親指がまるで思い通りに動かなくなっていました。(これは寒さのせいかもしれませんけど)なぜか左手は動いた。

 その夜にようやく布団についた後も、当時のビビリが不意にフラッシュバックしていたくらいなので、まあよほど恐ろしかったのだなあと思います。(その後1日で忘れた)
 そのくせひどく現実感がなく、いざ自分で思い返そうとしても、まるで夢の中の光景だったかのような頼りない記憶しかよみがえりませんでした。今までの経験とあまりに開きがありすぎて、アタマがうまく再シミュレーションできないのかもしれません。

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 世の中にはバンジーを成人の儀式にしている部族もいるそうですね。
 こどもでいい。